私と同年代にとって、セウォル号事故は単なる「大惨事」ではない。 もしかしたら当事者が「私」であったかもしれないという考えで皆が悲しみ、それだけお互いを慰めなければならなかった。 毎年4月16日が近づくと、私たちは学校の外壁に黄色いリボンをつけ、早く世を去らなければならなかった友人たちを追慕した。 それは二度と大切な命を失わないようにしてほしいという願いでもあった。
しかし、その後も私たちは予想できなかった災難と向き合いながら生きている。 堤川スポーツセンターと密陽世宗病院で起きた火災で数百人が命を失った時、私たちはもう一度悲しまなければならなかった。 事故が起きる度に安全不感症を批判し、見せかけだけの災難安全管理体系に怒った。
2022年秋、ハロウィンを楽しむために梨泰院に集まった数百人の人波が脱出口を見つけられず、命を落とした時もそうだった。 しかし、梨泰院惨事2周忌を控えて、2年前の悲しみと怒りは梨泰院だけに残ったようだった。 週末の夜、取材のために訪れた弘大レッドロードには無断駐車車両が並んでおり、酔っ払いたちは群れをなしてふらふらしながら通り過ぎていた。 クラブの前に集まった人々は客引き行為の中でもつれた。 2年前の梨泰院惨事の原因が、人波と車の移動が円滑でなかったためだということを思い浮かべると、惨憺たる思いをするだけだった。
国家が国民を危険から保護することは憲法に明示された義務だ。 しかし、国家だけが国民の生命を守ることはできない。 安全意識が伴わなければ、いつでも事故は再発する。
惨事遺族に会う度に「今回が最後であることを願う」という話を聞くことになる。 災害が発生した時、政府システムが作動することも重要だ。 しかし、それより優先されるべきことは、社会構成員全員が決めた約束を守ることだ。 その約束は事故が起きたところだけで守られなければならないものではないだろう。
[チ·ヘジン社会部ji。hyejin@mk.co.kr]