[毎経後シネマ-1] 映画「ユーブ·ゴッド·メール」
「ユー·ガット·メール」(1998)は大企業の路地商圏侵犯に関する話だ。 ジョー·フォックス(トム·ハンクス)が運営する「フォックス·アンド·サンズ」というチェーン型書店がニューヨークに進出すると、長い間地域の最古参だった「街角書店」が脅かされることになる。 街角の書店代表のケリー(メグ·ライアン)は、町の本屋を守る運動の先鋒になり、ジョー·フォックス社長と頻繁にぶつかり、お互いに洗えない傷を残す。 そんな彼らが、いざオンラインではお互いがお互いなのか分からないまま、電子メールで愛を育てていく。 オンラインとオフラインで交錯したこのような縁は、映画が流れる2時間の間、緊張感が維持される原動力だ。
価格競争から追い出される路地本屋の社長ケリーを見るのは、切ない気持ちをかもし出す。 しかし、何人かの観客はケリーの行動が矛盾していると指摘してきた。 ケリーが大企業の独占に怒り、いざ自分は町内の小さなカフェのコーヒーではなくスターバックスを楽しむということだ。
それは監督が意図したかどうかにかかわらず、資本主義社会の連結性を示す部分だ。 資本主義で私たちの消費は自ら認知できないほど多層的で一貫性を維持するのが難しいということだ。 今日この映画を見ながら、なぜ二人の男女が愛を育てていく主要場所としてスターバックスが登場したのか、また今この作品を再び撮るならスターバックスの代わりにどんなカフェが背景に登場するのかなど多様な経済ポイントを探ってみよう。
あらすじを先に見てみよう。 ジョー·フォックスとケリーはオンライン上でそれぞれ「ニューヨーク152」、「ショップガール」というIDを使ってEメールをやりとりする。
映画が公開された1998年は、今のように超高速ランが敷かれる前だったので、オンライン接続過程がはるかに面倒だった。 接続時にうるさい音を出すモデムを通じて接続しなければならなかった。 さらに、インターネットを使っている間は、自宅の電話を使うことさえできなかった。
そのように煩雑な手続きを経ても2人がインターネットを使おうとする理由は「ユーブゴッドメール」、言い換えれば「メール来ました」という一言を聞きたいからだ。 顔も知らないお互いのEメールを待ちわびていたのだ。 2人の男女は新しい方法でデートに積極的だった新世代だった。
二人の男女は、現実世界で相手の実際の姿は知らないが、各種飲食店と流通施設で互いを見過ごすこともある。 これはニューヨークというところが消費社会であることを示す場面だ。 職業、階層、人種と関係なく、ニューヨークでは消費に誰でもつながっているということだ。
代表的な施設がスターバックスだ。 2人の男女はスターバックスでコーヒーをよくテイクアウトするが、映画でスターバックスは2人がどれほど新聞物に積極的だったかを示す道具だ。 当時としてはEメールの疎通ほどスターバックスでコーヒーを飲むのが「新世代のもの」と評価されたのだ。
ジョー·フォックスは「スターバックスは決定障害がある人のための場所だ。 彼らでさえコーヒー一杯を買うためにショート、トール、ベンティのようなサイズとデカフェ、ラテのような色々な選択をさせる」という言葉をEメールに機転よく書いて顔も知らない「ショップガール」の心を買おうと思う。
これが「フローティング」として作用することができたのは、当時ニューヨークでもスターバックスが新しくあったためだ。 ニューヨークで初めてスターバックスが登場したのは、映画が公開されるわずか4年前の1994年だった。 その後、爆発的な関心を受け、売場数が急激に増加した。
最初の売り場開店後、1年後の1995年「ニューヨーカー」誌に載せられたコラムを見れば「スターバックスで会おう」という約束がこれ以上成立しにくくなったという内容が出ている。 過去には自由の女神像の前で会おうということほど簡単なことだったが、短期間に50個のスターバックスができ、このような約束が不可能になったということだ。
30年が経った今のニューヨークは、スターバックスにとってシアトルほど象徴的なところだ。 2018年には全世界に6つしかない超大型リザーブロースターがニューヨークチェルシーに開店したりもした。
もし2025年「ユーブ·ゴッド·メール」を再び撮るならば、映画の中の設定は大きく変わりそうだ。 まず、スターバックスは2人の男女が互いのトレンディさを誇示する道具として成立することは難しいだろう。 一時のトレンドは日常になり、日常が食傷に変わるのはすべての流行の宿命であるためだ。 すでに日常になってしまったスターバックスを持って、ジョー·フォックスが新鮮な冗談を言うためには、はるかに多くの考察が必要だろう。
素材の新鮮さだけを見れば、スターバックスの席はルイシングコーヒーが満たすのではないだろうか。 ルイシングコーヒーは今ニューヨークで熱くなり始めたブランドだからだ。 中国地元のコーヒーブランドの「ルイーシングコーヒー」は、ニューヨークに今年6月、売り場を2ヵ所オープンした後、9月中旬基準で売り場数を5ヵ所まで増やした。
ルイシングコーヒー売り場にはレジ係がなく、顧客は専用モバイルアプリだけで注文する。 飲み物の価格は表面上スターバックスとあまり変わらない。 だが、現在アプリで30~50%割引クーポンを大量に提供している。 ニューヨーク初の売場をオープンした当時、門前市を成した理由だ。
消費大国米国でもインフレが市民の財布事情を威嚇し「コスパコーヒー」の地位が高まったのだ。 合わせてスモールトークを通じた顧客との親密感形成を前面に掲げたスターバックスとは異なり、ルイシングコーヒーは極度の効率性を追求するが、これが実用性を問い詰める新世代にアピールしたという分析も出ている。
フォックスが運営した「フォックス·アンド·サンズ」は米国書店のバーンズ·アンド·ノーブルをモデルにした。 米国で定価より40%も安く本を販売し、また本を気楽に読める広い空間を披露して消費者の心をとらえたチェーン型書店だ。 バーンズ·アンド·ノーブルの登場によって、1995年以降5年間、米国で独立書店の数が半分近く減った。 映画にはこのように独立書店が難しくなる現実を苦々しく眺める視線が込められた。
そのため、一部の観客はケリーが矛盾した人物だと評価する。 本人は小さな書店の立場を代弁してチェーン型書店と戦いながら、どうやって町内のコーヒーショップの代わりにチェーン型カフェインスターバックスに行くことを楽しむことができるのかということだ。 おそらく作家の思考がそこまで届かなかっただろう。 その時はスターバックスが盛んに成長する企業だったとしても、現在のように大帝国を成し遂げる前だったので批判意識が少なかったのかもしれない。
結局、この映画は本来の意図とは関係なく、現代資本主義社会で消費の一貫性を維持することはほとんど不可能であることを示している。 このような姿は、どの国でもよく観察される現象だ。 特定商品の不買運動を展開する人物が日常では自分のキャンペーンに反する消費をする姿を見て反対派の批判に直面するやり方だ。
「ユーブ·ゴッド·メール」の二人の男女はお互いの魂の深いところを傷つけても恋人として結合する。 電子メールを通じた疎通で相手の真心を知るようになったためだ。 完全に反対側に立っていると思っていた2人だったが、実際には共通点が多かった。 この部分には他人の職業と学歴、容貌などすべてを排除して疎通した時、お互いをよりよく理解できるという信頼が反映された。 それはもしかしたらあまりにも純真な信念かもしれない。
しかし、誰かの背景だけを見て判断してしまう現代人に明確に伝えるメッセージがある。 私たちは他人を悪魔化し、公論の場から排除しようとする誘惑に陥りかねないが、それは結局私たちに罠になりかねないということだ。 彼とあなたの間には思ったより多くのつながりと共通点が存在するためだ。 彼を簡単に排除しないことは、あなたを保護するもう一つの方法になり得るわけだ。